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2010-12-31

最初の「友規さんの弦談日記」

★目次★



☆1、今年最後の朝に
☆2、おせち
☆3、ダメだっつーの
☆4、N響・・・だったのに



☆1、今年最後の朝に




大晦日、仕事です。
別に休みにしてもいいんじゃないとは思いつつも会社に向かいます。
駅から出て歩道を歩きます。
そしたらお店の前を掃除しているお姉さんがいました。
チリ取りで集めたゴミを集めているところでした。
お姉さんが体の向きを変え上体を倒したその時――ジーンズが下がってお姉さんの下半身が少し見えてしまいました。
ローライズというものでしょうか。
魅せることもできる下着ですね。
でも結構見えてしまいました・・・。
わざわざ私のいる方にお尻を向けるとは、何を考えていたのでしょう。

大晦日の朝はよくわからない出来事から始まりました。



☆2、おせち



終礼は「よいお年を!」で終わりました。
契約社員のこちら側としてはどう返してよいものかわからず、あちらこちらから苦笑が聞こえてきました。
副署長はお休みでしたが、署長はいらっしゃいました。
そこは休まないのはさすがですね。

会社を後にし、おせちを受け取りに行きます。
商店街は大賑わいです。
今朝方置いてあったカニは一つ残らず売れていました。
一番安いものでも2,000円はするのにすごいですね。

「正月くらい贅沢したいじゃない」

昨日、NHKで西健一郎という方がおせち料理を紹介していて、そんなことを言っていました。
確かに、年末年始は贅沢したいものです。
お寿司屋さんで働いていたとき、年末年始はとても忙しかった。
忘年会に新年会に、家庭では親戚を読んだりしますから桶の注文が殺到します。
今日も忙しいかなと思いつつお店に向かいました。

すると見たことのある人がいました。
すでに内定が取れている状態でアルバイトをしていた私と同い年の女の子です。
だから今年はどこかの会社の正社員として働いているはず・・・。
年末は会社が休みになるものだからお金を稼ぎにアルバイト?
いくらなんでもうるさい・怒りっぽい・顔が怖いと3拍子揃った店長のもとで年末年始だけ働くとは考えにくい。
・・・色々あったのでしょう。
あまり会話をすることなく帰りました。



☆3、ダメだっつーの



帰り道、マンホールの真ん中に缶ビールが置いてありました。
しかも飲みかけ・・・。
私はそれを拾って近くの下水に中身を捨てて、また近くの自販機の横にあるゴミ箱に捨てました。
車道の真ん中に空き缶を置いてはいけません。
運転手が缶を踏んだ衝撃でハンドルを切り損ねたら事故を起こしてしまうかもしれません。
大晦日はそういう悪戯はダメ。
こういう日は平和に過ごすのが一番です。

オーストラリアでは洪水で何千人という人が避難しているらしいですね。
せめて今日一日だけでも平和に過ごしたいものですが、平和に過ごせない人もいるのです。
悪戯でこういうことをしてはいけません。



☆4、N響・・・だったのに



NHK教育で放送されているN響による「年越しクラシック」。
生まれて初めて大晦日に見ました。
『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子、講談社)2巻「Lesson7」にて仲良し三人組が千秋の家に押しかけテレビのチャンネルを勝手に変えられてしまい、

(もうすぐN響の「第九」があるのに・・・)

と心の中で呟いていますね。
そのN響です。



ベートーベン作曲
『交響曲第9番“合唱つき”』
今回の指揮=ヘルムート・リリング



フロイデッ シェーネル ゲッテル フンケン!
でお馴染みのあれです。
私は小学校の合唱コンクールで歌ったことがあります。
『金色のガッシュ!!』(雷句誠、小学館)の25巻でファウードの力を得てでっかくなったキースが歌っていますね。
さらには『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ放映バージョン、何話だったのか覚えていませんが主人公碇シンジと使徒でありながらシンジの友人だった渚カオルの激闘シーンで流れていますね。
劇場版では今後どのような展開になるのか見所です。
そんな「第9」は4楽章で構成されているんですね、知らなかった。
1楽章から聴いたのはこれも初めてになりました。
そして4楽章が始まり・・・聴き覚えのあるメロディーが流れ、



「友規! 手伝って!!」



飲み会から帰ってきた母の叫びで中断されます。
母は慌しく荷物を置き玄関を開けます。
外には見知らぬ男性が二人。
一人は酔っているのかもう一人の男性に肩を貸してもらっていました。



「飲みすぎて家に帰れないからうちで少し休ませる!!」



はぁ? という感じですよ。
でも本当にやばそうな状態だったので言われるがまま正常な男性からその人を私に受け継ぎました。
座ってくださいと座らせようとするとまるで失神したようにテレビにおでこをぶつけて勢いよく倒れました。
慌てて寝かせてお水を出します。
その間、少し下を向いていたのが悪かったのか、今度はトイレに直行。

大晦日に、ドタバタです。

「すっごいよね! あははははは」

母よ、あんたはなんで笑っていられるんだ?

肩を貸していた男性は今日で定年とのことだった。
最後の最後まで後輩の面倒を見て帰るとは不運としかいいようがない。
その後輩は体の中のものを吐き出して落ち着いたのか、今は居間で横になっている。

「第9」は終盤に差し掛かっていた。
・・・録画してあるからもういいや。
彼の家はここから遠いようだが、果たして年内に帰れるのだろうか。

ちょっと忙しくなりそうなのでこの辺で失礼いたします。
「友規さんの弦談日記」最初の日記がこんなんで申し訳ないです。
それではよいお年を。
今年一年、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
また来年にお会いしましょう。

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2010-12-30

最後の「友規さんの恋愛日記」

★目次★



☆1、今年の精算
☆2、振り返る
☆3、数日前
☆4、二択
☆5、どちらを選んでも
☆6、最後の「友規さんの恋愛日記」



☆1、今年の精算




今年は恋愛日記である部分が大半でした。
でも新年を迎えるにあたり、同じように恋愛日記を書き続けることは出来ません。
今は恋愛することに怯えています。
自分への自信もほとんど失いました。

だから「友規さんの恋愛日記」最後の日記として、今日は今年の精算を行います。
大晦日前にあえてやるのは、今年を終わらせる日と新年を迎える日を分けたかったからです。
新年が始まれば自動的に気持ちが切り替わるのではなく、自分の意志で気持ちを切り替えたかった。
周囲に流されず自分の意志で。



☆2、振り返る



別れてから2月経って7月に逢い、そこで彼女と彼が付き合いはじめていることを聞きました。
私から聞かなければ、彼女はずっと言わなかったでしょう。
どうして言ってくれなかったのか。
それでも私はそれを責めなかった。
このときは好意から冷静な客観的判断ができなかったのです。
普通なら、付き合っている人がいるのに他の人と二人で出かけていたら許せませんよね。

演奏会の練習が始まり、彼と彼女が二人並んでいる姿を毎回見ることになりました。
おかしい所があれば二人に教えなければいけません。
どうして、好きな人と、その好きな人と付き合っている人に優しく接しなければならないのか。
答えは単純明快。
私が彼等の先輩であるから。
公私混同することはできません。
私がここでいなくなったらサークル全体に迷惑がかかります。
だから私は最後までそこに居なければならなかった。
「先輩」として。



嫌いになろうとしました。
ずっと好きで居続けることは辛かったから。
でも、無理矢理嫌いになろうとすればするほど嫌いになれなかった。
むしろ好きである部分を再確認することになり、想いが強くなることさえあった。
そんな行為も虚しくなっていき、より自分を傷つけることになりました。

私と別れて他の人と付き合っている。
それが知っている人どころか後輩です。
どうしても自分と彼を比較するようになり、私は自分への自信を失っていきました。



☆3、数日前



演奏会も無事に終わり、私はその日の飲み会で彼女に「後輩をよくあそこまで育てたね」と褒めました。
私はそれを最後に、もう会わないでいようと思っていました。
もう、彼女や周囲、自分自身に嘘をつくことに疲れていたからです。
演奏会が終わって先輩としての務めは終わりました。
また、彼女の方から私に会いたいということはもうないだろうし、私も現在付き合っている彼氏に悪いだろうから会おうとは思いません。
自分がされて嫌だったことは他人にしません。
4年生の追いコンがオケの札幌旅行と重なっていてよかったです。



でも数日前、彼女の方から「会って演奏会のことについて話したい」と言われました。



私がサークルでギター未経験者を教えることは少なくありませんでした。
しかし、その中でも卒業を迎えたのは彼女が初めてでした。
同じ代にギターの後輩がもう一人いますけど、彼はアコースティックギターを触っていたので、彼女が唯一、私が一からギターを教えた後輩なのです。
辞める者も多かった中、彼女は未経験から始めて卒業を迎えたただ一人の後輩なのです。
途中、彼女の後輩がすごくギターの上達が早くて、

「私は辞めた方がいいんじゃないか」

と涙を流すこともありました。
それでも彼女は諦めることなく、最後の演奏会を迎えました。
そして4年生になって、演奏会を終えて、彼女は私に何か伝えたい想いがあったようです。



だけど、私は悩みました。

「会って直接伝えたい」



私はもう、彼女に会うことができなくなっていました。
彼女のことを考えると、胸が苦しくなるからです。
練習を共にした約半年。
一月に1~2回会う程度ですが、1度会うだけでも私は辛かった。
彼女を見るだけで、彼と話しているところを見るだけで、私に「後輩」として接する彼女を見るだけで、私は・・・。
半年経って、ようやくそれに慣れることができてきました。
それなのに、いま二人きりで会ってしまったら、また辛い思いが蘇ってくるのではないだろうか。



☆4、二択



私も会って話したかった。
演奏会の録画を見ると、どうしても彼女の演奏を指摘しなければならない部分があるのです。
彼女も後輩に何かを残したいと思っているらしく、その指摘したい部分をそのまま伝えるようなことがあったらサークルとして危険です。
だから私からも会いたいと返事をしました。

しかし、「会う」と意識するだけで胸が苦しくなるのです。
傷ついた経験から、心が彼女と会うことを拒絶しているようでした。
それでも、私は最後まで「先輩」として会わなければならない。
だけど自分の「気持ち」は考えなくていいのか。

悩んだ末、私は数人の女性に相談しました。
先輩という「立場」と自分の「気持ち」。
どちらを優先すべきなのか。



☆5、どちらを選んでも



相談をするというとき、すでに気持ちは決まっているといいます。
それでも相談をするのは、決まっているはずの気持ちに踏ん切りがつかないから、賛同者の後押しが欲しいのです。



結果、会いませんでした。

「まだあなたを好きだから会うと辛くなる」

正直に「気持ち」を伝えました。

今まで、私は自分の気持ちに嘘をついていました。
でもそのせいで自分を傷つけていました。
以前と変わらぬように接することで彼女を傷つけまいとしていましたが、それは自分を傷つけることになっていたのです。
果たして自分を傷つけてまで嘘をつく必要があるのだろうか。
本音を言う優しさ、嘘をつく優しさ・・・どちらがいいのか。

相談をする前から、すでに気持ちは決まっていました。
この二つの選択肢は最初から主観的なものです。
「自分」が「立場」を取るか「気持ち」を取るか。
つまり「彼女」の話を「聞く」か「聞かない」という選択ではないのです。
客観的ではなく、あくまで主観、自分の気持ちを前提に選択肢を用意している。
このことから彼女の気持ちはまったく選択肢に考慮されていないのです。
私はもう、自分の気持ちしか考えることができなかったのです。



また、どちらを選んでも自分を傷つけることに変わりはありません。
「立場」を選べば、辛い想いを抱えて彼女に会うことになります。
「気持ち」を選べば、後輩の願いを聞かないふがいない先輩になります。

今年は生きてきた中でこれ以上ないくらい自己嫌悪の激しい年でした。
私は彼のことを非難するような発言をサークルの友人にしてしまいました。
自分の好きな人が誰かに奪われるかもしれないと思ったとき、私はその存在を排除しようとしていたのです。
周囲を自分の味方につけ・・・。
しかしそれは誤解を招き、サークルを混乱させました。
それによって私は独占欲が強いことを知り、同時に自分に対して嫌悪感を抱きました。
周囲を私事で混乱させたことは決して許されることではありません。

そんなことがあったから、自分を嫌いになることはもう慣れっこでした。



私はただ彼女のことが好きだっただけなのに、どうしてこんな結果になってしまったんでしょうか。



☆6、最後の「友規さんの恋愛日記」



大掃除のとき、彼女と行った映画のチケットなども捨てました。
初デートのときに登った東京タワーの記念カードも。
ディズニーランドで撮ったツーショット写真も。
お手製のクリスマスカードも。
誕生日プレゼントも。
今年買ったばかりのペアリングも。

だけど、彼女との想い出は消えません。
もともと全部を捨てることなどできはしません。
自室に招いたこともありましたが、自室を捨てるなんてことはできません。
一緒に観た映画もこの世から抹消することはできません。
あくまで捨てたのは、彼女の痕跡が強いものです。
それを見たとき触ったとき、どうしても彼女のことを思い出してしまう。
彼女とのことを思い出してしまう。
これから先は、もう思い出に縛られることがないようにしたいから、より痕跡が強いものを処分したのです。



でもまぁ、どれだけ「モノ」を処分しようと、クリスマスイヴのあの日、告白されたときの感情は一生忘れることができないでしょう。
「よくがんばってるね」と頭を撫でたときにボロボロ泣いてしまった彼女の表情も。



捨てたことは否定ではありません。
彼女を好きでいて幸せだったことまで否定しようとは思いません。
ちゃんと好きだったからこそ、今の自分があるのです。
どれだけ傷つき涙を流そうと、幸せだった気持ち、愛された記憶は今の自分を形作っているのです。
そういったことを認めないと、過去を認めなければ現在を生きることはできないし、未来を迎えることはできない。
彼女を愛し、彼女に愛されていたからこそ、今の自分があり、これからの自分を求めることができる。
私が私である限り、それは絶対揺るがない事実。
想いに縛られるのと、想いを大切にするのとでは意味が異なります。
今は想いに縛られるのは終わりにして、想いをちゃんと見つめようとしているのです。



だってやっぱり、彼女を好きになってよかったって思うから。
今となってはもう会うことも話すこともできなくなってしまったけど、それだけは本当のことなのです。
これから先、また恋愛するのかわかりませんが、その時は今回の恋愛でしてしまった失敗を繰り返さないようにしたいです。
今は恋愛なんて怖くてできませんけどね。
だけどこの世に「絶対はない」って教えてくれたのも彼女でした。



ここまで読んでくださった方は大丈夫でしょうか。
☆5まで書いていて私は、

「なんでこんなこと書いてるんだろ・・・」

と死にそうでしたw
だけどだけど、やっぱり過去があるから現在がありますからね。
どんなに辛い過去でも受け止めなくてはいけません。
たくさん泣いたあとはたくさん笑わなければいけません。
なので来年はたくさん笑える年にしたいです。
「友規さんの恋愛日記」は今日で最後となりました。
というわけで、今年一年ありがとうございました。

2010-12-29

区切り

友規さんの恋愛日記…

最近恋愛していません。

というより、恋愛のことを考えると気持ち悪くなるようになりました。

一旦終わらせようかと思います。

2010-12-28

自分が悪いのに

第40回記念演奏会を撮影するために買った三脚。
実は、使用したその日に壊していました。
カメラを支える台座の部分が止まらなくなっていたのです。
原因はボルトの締めすぎによるものです。

保証書を持ってはいるものの、破損は有償です。
修理業に就いているためそこらへんはよくわかります。

これから先、特に三脚を使う機会はないな~と思っていたら、自分の演奏を撮影するためには三脚が必要なことに気が付きました。
今から修理に出したら手元に帰ってくるのは年明けだろうか・・・。
昨日、買ったお店の店員さんとお話したら、やはり現物を見てみないとわからないと言われ、今日再び行ってきました。
すると、私が購入したときの店員さんがいらしたのです。

その店員さんによると、もともと耐久性が弱いことを示唆され、私の非を軽くしようとしていました。
それでも破損は破損です。
私は潔く有償を覚悟しました。

だけどその人は、

「買って間もないので、今回だけは交換いたしましょう」

と言ってくださったのです。
私はとても申し訳なく思い、お金を払わせて欲しいと言いました。
故障ではなく破損は、間違いなく顧客の責任です。

「なんとかしますよ」

そう言って、私が持ってきた三脚と新品を交換してくれました。
すごく嬉しい反面、悪いことをした罪悪感がありました。
なので――、



このビデオカメラを購入した翌日に演奏会がありまして、そこでこれを使用したとき、みんなに喜んでもらえました。
本当にありがとうございました。



と一言。
「購入してよかった」という気持ちを伝えたかったのです。
店員さんから笑顔をいただけました。
絶対に大事に使います。
そして、来年は一月に一曲演奏動画をアップしようと思いました。

2010-12-28

(-.-;)

レッスンが終わった後って糖分が不足しています。
最近は頭で考えながら弾いていることが多くなったので。
だから日記の更新も遅れています。

すみません。
27日はまた後日に。

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