--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010-09-30

ハイパー鬱モード

昨日の日記に書いたことを実践してみたら、本当に鬱になりました。
でも収穫はそこそこありました。
結構昔にまで遡ってしまいました。



★目次★



☆1、高校時代
☆2、大学のサークルにて
☆3、人格形成
☆4、自分を変える



☆1、高校時代




高校3年生のとき、私は体育祭の実行委員長でした。
高校生のときは活発的でした。
経験とかなくてもなんとかなるって思っていました。

でも最初の会議はグダグダな感じで終わりました。
私は終始、誰かに助けを求めていました。

私が委員長で、他に2人の副委員長がいます。
そのうちの一人は人数合わせで仕方なく立候補させられた人。
もう一人はやる気はあるけれどクラブ活動が忙しくて夏を過ぎるまで出られないということでした。
だから私一人でどうにかやるしかなかった。
このときの私は人に頼るとかそういったことが苦手で、全部一人でやってしまうことが多かったのです。
頼り方を知らなかった。
だけど、たとえ人数合わせの彼でも、頼み方次第ではもしかしたら手伝ってくれたかもしれません。

総会に出席する委員会メンバーは私一人。
もともとあがり症だった私はうまく質問を返せず他の生徒さんに反感を与えてしまいました。
それが会を重ねていくと私の体調は悪化し、病院に運ばれてしまいました。
たった一日だけですけどね。
それを知ったクラブ活動に従事している副委員長が、他の委員会のメンバーを叱りました。
委員長一人に仕事をさせるなと。
でも元はといえば私が仕事を与えていないのだから仕方がありません。
それでも私は黙っていることしかできなかった。

最後の会議の前、先生が委員会みんなで出席するのはどうだろうという提案を出しました。
だけど出席したはいいけど、もともとみんな会議に出たくはないのです。
そこまで熱の入った議論が展開されることもありませんでした。
いや、最後までずっと喋っていたのは私でした。



そんなことがあっても体育祭は無事に終わりました。



でもそれで得たものはとても少なかった。
大学は推薦で入ることにしたのですが、自己紹介文が書けないのです。
体育祭実行委員長という肩書きはとても立派な武器でしたが、私は自分ひとりががんばっていたことしか書けなかったのです。
学校を巻き込む重要な役職だったのに、私は私一人のことしか書けなかったのです。
先生に「もっといろいろなことあったでしょ?」と何度も聞かれました。
でも当時の私にはそれしか思い浮かばなかった。
私は私の事しか見えていなかった。



☆2、大学のサークルにて



サークルは何度も書いていますがマンドリン倶楽部です。
私が一年生の頃は先輩がいませんでした。
いたにはいましたけど辞めていたので・・・。

練習時間中、私は一人でいることが多かったです。
合奏においてもギターは私一人でした。
まったく経験がない状態で合奏の場に放り込まれました。
指揮者からは「もっと音を出してほしい」とよく言われます。
これは今でもどの現役でも言われていることですね。
私はそのほかに「テンポを下げないでほしい」と言われました。
一年目では指がそれほど回らないし周囲の音も聴けないしでテンポが下がっていることなどわかりませんでした。

だけど夏合宿で「ともともいつのまに弾けるようになったの?」とみんなから賞賛されてすごく嬉しかった。
初めての夏合宿。
こんなに時間が取れたのは初めてのこと。
基礎練習くらいしかやることはなかったけど、それがよかったんでしょう。
二日間だけ来る先輩の動きとかよく見ていましたし。
先輩がいるときは自分は弾かないで横目でじーっと先輩の指の動きを見ていることが多かったです。
あとは耳で覚える。
先輩に教えを請う方法とか時間とかわからなかったしありませんでしたから。

一年目の定期演奏会が終わって録音されたCDを聴いてみると、自分の音はほとんど入っていませんでした。
まぁそんなものですが、これから先、引退したはずの先輩ももういないので正真正銘ギターパートには私一人だけです。
だから私は、もっと自分ひとりでがんばるしかなかった。
いや、音楽が好きだったからがんばることは嫌ではなかった。



4年間パートトップを務めました。



☆3、人格形成



周りに頼ることはほとんどなく、いつも自分ひとりで解決してきた私は、周りに頼ることができなくなっていました。
それゆえ、私には人を信頼するということがなかった。
問題があっても自分ががんばれば打開できるはずだという考えになっていたのです。
周囲との協力という手段が思い浮かばなくなった。

恋人から別れを告げられたときに、こんなことを言われました。



「友規さんは私を対等に見てくれていない」



その時の私は、その言葉の意味がわからなかった。
私としては彼女のことを信頼していました。
でも今思うと、信頼していなかったとわかります。

会社を変えるというとき、私は事後報告的な形で彼女に説明をしました。
いきなりです。
それまで順調に進んでいっていると思っていたはずの彼女はとても驚いていたに違いありません。
それで辞めようと思ったときのこと、辞めるときのこと、彼女はすべてあとから知りました。
そういったことをされたから彼女は「信頼していないから相談も何もないのか」と思ってしまったかもしれません。
対等に見ていないということですね。
私のことをわからなくさせてしまった。



対等に見ていたら、信頼していたら、恋人関係であるなら、何か一言欲しいですよね。
信頼して欲しいですよね。
頼って欲しいですよね。

高校と大学とほとんど自分の力で道を切り開いてきた私。
そのおかげで私に力はつきました。
何があっても諦めないこと、かならず状況を打破できると自分を信じることができました。
その代わりに、私は人に頼る、周りを信頼するということができなくなっていました。



悲しいな。



☆4、自分を変える



昨日はハイパー鬱でした。
なんだか、自分という人間は本当になんなのだと、リアル鬱にまで発展。
ドイツに行けたのは周りの助力があったからこそです。
決して私は自分ひとりの力で立っているわけではない。
それを知っていたはずなのに肝心なところで人に頼ることができない・・・。
最悪だ。



そんな最悪を少しでも変えたくて、ちょっとがんばってみました。
昨日の帰り道、更衣室で着替えてさぁ出ようかなというとき、先週一緒に怒られた人に出会いました。
彼は解析の方。
私は記入です。
最近わかった解析と記入の関係は、解析の判断を記入が照合するといったもの。
記入は修理がうまくいっているかどうかを判断するフィルターなのです。
前回は解析の彼のミスを私がそのまま流してしまったことで大問題になりました。
私はすぐに所長と副所長にお呼ばれ。
解析の彼はその日は休みでした。

私としては自分のミスもそうですが彼に対しても怒りを抱いていました。
あなたが最初からミスをしなければ私まで怒られることはなかったのに。
それからの私はどんなミスも逃さないようしっかりと勉強をしました。
でもその行為の裏返しは、解析を信じないってことです。
また自分ひとりの力でがんばろうとしていたのです。

それは悲しいことです。
だからちょうど解析の方と二人きりになったので、ちゃんと言いました。

「記入の○○と言います」

「はい?」

「先週はあの件ですみませんでした」

「え? ああ!」

わかったようでした。
確かに、元はといえば間違えた彼が悪いです。
でもそれをそのまま流してしまった私も悪いです。
私のせいで、彼も余計に怒られてしまったはずです。

話してみると、彼も記入の方とお話をしてみたいと言っていました。
記入と解析は元は一つだったのですが今は別れ、その仕事のやり方に大きな差が生じています。
だからもしわかりにくいものがあれば教えて欲しいと彼から言われました。

私はもちろんOKしました。
私としても解析と協力して仕事をしたかったからです。
後日から、ちゃんと教えることになりました。



人を疑いながら仕事をするのはすごく疲れます。
悲しいことです。
そうではなく、信頼して助け合って仕事をしたいです。



私は自分を変えていきたい。
もっと周りとつながっていきたい。

鬱になって辛いこともありましたが、それなりに収穫はありました。
もう堕ちるところまでいったかな?



9月も終わり、今年もあと3ヶ月。
終わると同時に年の瀬へとがんばっていきます。

スポンサーサイト
Copyright (C) 友友の弦談日記. All rights reserved. Template by Underground
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。